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2010年6月

2010年6月21日 (月)

◆ しらいしりょうこ(vo,p)・柴草玲(vo,p,acc)「彼のいない彼の部屋で彼女と2人」guest room:川村結花(vo,p)@南青山MANDALA 6/20

さて、西荻駅前のマンガ喫茶で数時間眠りまして、酔いが醒めていること確認し、栃木へ。

家に帰ってから、庭の畑で、娘と妻とトカゲ探し。一時間以上格闘。3匹つかまえる。汗だくです。

そこから、家族で外出し、昼食と買い物。

寝不足に気づいて、帰って1時間でも寝る旨宣言し、その通りさせて頂く。

そして、向かったのが、南青山マンダラ。

先月8日以来ではありますが、随分ひさしぶりに思えてしまう柴草玲さんのライブです。

◆ しらいしりょうこ(vo,p)・柴草玲(vo,p,acc)「彼のいない彼の部屋で彼女と2人」guest room:川村結花(vo,p)@南青山MANDALA

しらいしさんは、なんとも清涼感のある素敵な女の子の魅力があって、そういう意味では、私のような好き者が出かけるライブで巡り合うチャンスは少なかろうというタイプの表現者です。前回は、イケメンのスタジオ・ミュージシャンをバックに従えたバンド編成で、昨年、同じタイトルのイベントを見せて頂きました。なんともキラキラして、そして、かわいらしい感じです。でも、そういう彼女が、柴草玲さんの音楽をこよなく愛しているのがなんとも、女性ってものの奥深さを教えてくれたりするような気もいたします。ピアノのみの伴奏が大半だった今回の公演でも、同じような印象はやっぱり変わりませんでした。

さて、今日、初めて生演奏を見せて頂いたのが、川村結花さん。人間が出来ている感じで、且つ、プロフェッショナルの香りが漂っていました。しかも、こういうシチュエーションで、柴草玲さんとの「ワインレッドの心」、「春夏秋冬」「サヨナラCOLOR」とカバー曲が並び、それぞれ素晴らしく歌心あり、説得力のある、なんだか含蓄のある歌と演奏で、すっかり凝視してしまいました。素晴らしい。そして、中孝介「空が空」のセルフカバーが、見事につながる。良い歌ですね。素晴らしかった。泣かせる。かっこいいなあ。・・・いやあ。やっぱり、お話したかったです。「Here There」のこと。青木達之のこと。

そして、お目当て。この人が出るから、今日、私は、ここへ来ている・・・そう、柴草玲さんは、目を離せないような、見てはいけないような、でも見たい、というような。他流試合っぽい、アウェイ感のある中で、「オレーオレオレオレ」の歌がムカツクとか、あまり口に出しづらい発言に、共感したりいたしました。ちなみに、私は、清原が打席に立つと流れる「ぅおーぅおうぉうおぅおうおうおー」ってのもダメな口。きっと玲さんもそうでしょう。そういうところ、私は、結構、玲さんと近いところがあるのだ。無駄に人見知りなところとか。そこに共通項を持ちつつ、この人でしかなければという音楽のスゴイ才能を見せつけるから、振幅があんまり大きくて、びっくりしてしまう。でも、ときどき、玲さんは、そのことが小さなことだと本気で思ってらっしゃるように感じるときもあるのだ。

玲さん。終演後、「お元気そうでよかったです」と声をかけてはみたものの、実は、「もしかしたら、ちょっと元気ないかな」「こう蒸し暑くてはなあ」とか、実はいろいろ思いました。でも、みんな人それぞれ、平均体温は違うもの。お元気だったら、いいなあ。柴草玲が「さげまんのタンゴ」を歌わなくなるとき、僕らはまた新しい世界に連れてきてもらえるような気がする。

昨年暮れに、あるイベントで、前向きな歌をシンプルなメロディに載せて弾き語りする女性達ばかりが出演していたイベントに、なぜか玲さんも出演されたとき、終演後、話しかけたことがある。「こういう中で、玲さんの歌は、特別で、異質で、どうしてこんなにいいのか、なにがそんなにちがうのかって考えて、その答えのひとつは、音楽って、それだけを突き詰めていったとしたら、実は、かなりしょーもないことでしかないんだって、そのことを判って、しかし、真剣にやってらっしゃるからではないかと思っている」と伝えたことがある。随分失礼な言い方だけど、たぶん、それは真実だ。音楽とは、素晴らしいものだけど、そんな簡単に素晴らしいものなわけじゃじゃないんだ。つきつめなければ。そして、つきつめた先にも、そんな大したものがあるわけじゃないんだ。でも、つきつめた人間だけがわかる、その先に広がっている、荒涼とし殺伐としているかもしれないが、確かに広がっている景色。そういうものを、私は、彼女に見せてもらっている気がしている。それは、僕にとっては、玲さんがさげまんかどうかってことよりも、ずっと大事なものだから。そんなもの裸で見せてくれる人、そうはいないのだから。

今夜も、玲さんの歌、聴けて、良かった。また、来月も出かけます。僕は、今日の川村結花さんの姿勢や歌に、玲さんのそれが見事にコントラストを描いていたようにも感じ、そのことが、玲さんの音楽が、これから更に力強く響くきっかけになっていくような気がする。「アクアリウム」や「金魚」そして「あじさい」のような美しく寂しい歌を聴きながら、ああ、これだけでいいんだって、そう、感じていた。自分勝手な言いぐさですけど。柴草玲も、また、小沢健二や渋谷毅と同様に、僕にとって、ぼくの夢・ぼくの願いを、時間をかけて、いつか、叶えてくれる人なのだ。きっと。そう思っているのです。

音楽ファンも寂しいものだと、渋谷さんのことを思い、玲さんのことを思い、オザケンのことを思う。しかし、今日の「空が空」で、川村結花さんはこう歌っていた。

「寂しさは弱さじゃない」と。

・・・そうですね。俺たちは、結構、強い。だから、待てるのかもしれませんね。

(追記~しらいしりょうこさんのブログよりセットリスト。改めて、得難いライブを企画してくださったしらいしさんに感謝です。)

<セットリスト>

~しらいしりょうこ~
1 笑まひ
2 泣いているのに
3 はじまりのキス

~しらいしりょうこ&川村結花~
4 ざくろ
5 アンフィルム
6 夜空ノムコウ

~川村結花~
7 春夏秋冬
8 サヨナラCOLOR
9 空が空

~川村結花&柴草玲~
10 あんたの冷や汁~あんたのどや顔
11 ワインレッドの心

~柴草玲~
12 ホテルおぎくぼ
13 金魚
14 あじさい
15 さげまんのタンゴ

~柴草玲&しらいしりょうこ~
16 アクアリウム

~柴草玲&しらいしりょうこ&川村結花~
17 夕日が沈んだら

~柴草玲&しらいしりょうこ~
18 真冬の向日葵


ーアンコールー

ウォータープルーフ(3人で)



2010.6.20@南青山MANDALA「彼のいない彼の部屋で彼女と2人」

◆渋谷毅(pf)ソロ@西荻窪アケタの店・夜中 6/19

渋谷さんとは、この1〜2年は、しばしばお会いしている。「友人」もほとんどいない私にとっては、家族と仕事関係者を除けば、一番頻繁にお目にかかっている人ということになるかもしれない。とはいえ、渋谷さんとは「友達」というわけでなく、「仕事関係者」というのでもなく、私が一方的に「熱狂的なファン」だというだけのこと。

先月も、たまたまテレビを眺めていたら、渋谷さんのライブ映像に遭遇した。ほんの5秒ほどだったが。普段ほとんどテレビを見ない私が、である。そのことを妻に話したら、「パパの渋谷さんを引き寄せるチカラ、スゴイね」とか、お褒めに預かった。確かに、用事があってテレビをたまたまつけたら、吉祥寺の特集番組だったので、少し眺めていたんだ。渋谷さん、出てこないかなって、そう思って見ていたら、本当に出てきたんだから、我ながら可笑しかった。金子マリさん、小川美潮さんとの「両手に花」のライブ映像だ。行きたかったけど、新人歓迎会があって行けなかったライブだ。

しかし、そうは言っても、私にとって、渋谷さんもまた遠いところにいる人で、その意味では、小沢健二がいるところへの距離と同じくらい、遠い存在なのだ。

でも、ライブハウスなどでは、気さくにお話をしてくださる。緊張するけれど、やっぱりうれしい。昨年の暮れだったか、小沢健二のこと、渋谷さんと話したことがあった。渋谷さんを「追っかけ」て、関西のライブ、3晩続けて聴いた日、中日の夜だったと思うのだけど、たまたま、素晴らしいチンドン歌手の華乃家ケイさんとお話していて、彼女が渋谷さんにピアノ共演をお願いするきっかけが、たまたまラジオから流れた小沢健二の「大人になれば」だったとの話を聞いていた。そんなタイミングで、僕は、渋谷さんに、小沢健二の「lovers」の話をしながら、「あのときの演奏、本当に素晴らしかった。音楽活動を休んでいて、とても残念。あんな才能を持った人はいないのに・・・」って、渋谷さんに話しかけたら「本当だね。オザケンは、彼自身が、そういう才能を持っているってことに、気づいてないんじゃないかな」というような言葉を返された。「・・・残念ですね」「残念だよね」って。

だから、ちょっと小沢健二の先日のライブについての感想も、聞いてみたいななどと思いつつ、今夜も聞くことは出来なかったのだが。

また【小沢健二+渋谷毅】の演奏を聴きたいと願っているのは私だけではないはず。

せめて、撮影されていることは間違いない「lovers」のライブ・ビデオを公開してほしいなあとか。いろいろ思うところはたくさんある。

でも、小沢健二に、今は、なにかリクエストをするようなタイミングではないと思ってしまう。今は、ただただ「ありがとう(ございました)」と、「ひふみよ」ツアーのこと、感謝すべき時なのだ。何年かかるかわからないが、渋谷さんや小沢健二について、こういう密かな願いは、いつの日か、叶う気がする。

◆渋谷毅(pf)ソロ@西荻窪アケタの店・夜中

飛び入りゲスト:松倉如子(vo)

さて、本題。しぶやさんのアケタ深夜のソロ。私は、08年4月以来、毎月欠かさず、皆勤している。なにしろ、12時過ぎから始まる真夜中の演奏なので、独特の雰囲気の中、渋谷さんの体調も、こちら聴き手の体調も、いろいろな状態のときがあって、スリリングなのだ。今日は、私は、娘に朝5時頃起こされてからずっと起きてて、忙しい一日だったから、かなりフラフラになっていた。しかも、この日は、朝は、父の日記念の幼稚園の父親参観、昼に医者に行き、午後は仕事で宇都宮へ、そこから東京に向かう、全ての移動は私の運転だ。そもそも、幼稚園児を抱えた44歳のオトコの土曜日は朝が早く、夜中は疲労のピークなのだ。

しかし、今日も、あああ、なんて美しいピアノなんだと、いつもの曲を、ところどころではっとさせられながら、それにしてもどうして俺はこんなに好きなのか、などと、深い深い演奏を、目を閉じて、まさにまどろみながら、聴かせて頂いた。

・・・至福・・・。他に言いようがない。

更には、この日は、遊びに来ていた松倉如子さんが、最後に、うれしい飛び入り!渋谷さんのピアノで3曲。最初は、渋谷さんの「夢の中」だ。スゴイ!私は、松倉さんのアルバムは聴いていたけど、ライブは初体験。最後の一滴まで絞るようなちからいっぱいの歌声。すばらしい歌手でありました!いのちの意味を知るような、そんなうたのちから。

二年ほど前か、おなじように遊びに来られた二階堂和美さんが飛び入りされた夜のことも思い出した。あの日も、二階堂さん、本当に素晴らしいと感じた。今夜も、おなじくすごく幸せな気持ちだ。

あんまり高揚した気持ちになって、お酒を次々おかわり。マニアの私は、渋谷さんが昔音楽制作されたにっかつ映画『落陽』のサントラCDを持参して、自慢したり(<馬鹿)、すごくハッピーな気分で、この日、最後の一人の客になった。それも久しぶり。松倉さんの歌が、私の中のなにかを解放してくれたような気がする。

カプセルホテルもない西荻窪に、クルマで来て、酒を飲んでしまったら、マンガ喫茶で仮眠して、酔いを醒ますしかなかった。初めてそんな経験をしたが、これなら、クルマをリクライニングにして寝た方がマシだったな。

そして、怒濤の日曜日へと続く・・・。

2010年6月16日 (水)

青木達之追悼文(1999)

(パラネット BBS 1999/5/4 23:34 タイトル:ありがとう)

 田舎から、大学受験がないのをいいことに高校を選んだ私は、親元を離れ東京に来ていた。高一の春、同じクラスの友人が持ってきていた付属中学の卒業文集(画集?)に、クラッシュの「パールハーバー79」(「白い暴動」に数曲加えた、当時のコレクターズアイテムで日本編集盤)のアルバムカバーを模写したページを見つけ、びっくりした。「わあ、これ、大好きなんだ。でも、限定盤で、店頭からすぐなくなってしまったはずだけど、こんなレコードを特別視している子が同級生にいるんだね!」って。すると、その友人が紹介してくれると言う。人見知りだった私は「いいよ。やめとくよ」と言ったのだが、その友人が言うには、彼は、同じような音楽を聴く仲間を求めているのだということだった。いつの間にか話はついていて、私はK組だったけれど、彼のいるA組まで呼ばれた。話したいというなら、自分から来ればいいのに・・・そう思ったけれど、長い廊下を歩いて歩いて、校舎の反対側にあるA組まで訪ねていったのだ。
 そこで、彼は、びっしりミュージシャンの名前を書き込んだレポート用紙を私に渡した。「こんなのが好きなんだ」・・・スペシャルズ、マッドネス、ジャム、PIL、スモールフェイセズ、ザ・フー、クラッシュ、ポップグループ、スリッツ、YMO、ジャパン、サディスティックミカバンド等の名前が並んだ、その紙きれは、孤独にニューウェイブや60年代ロックやらをひとり聴いていた私には、まぶしいものだったけれど、でも、私もちょっとかっこつけた。「ストレイキャッツは、あんまり好きじゃないな。他はみんな好きだよ」って。少しだけストレイキャッツについて論争になった。何だよ、失礼な奴だなって。確か。そんな風に別れたはずだったのだけれど・・・。あっという間に仲良くなっていた。
 彼はいつでもかっこよかったし、田舎出身でコンプレックスのあった私を相手にしてくれるのが不思議だったけれど、音楽の話だけはとにかく熱中した。彼が、紹介してくれる仲間は、いつも何かとんでもなくて、交友関係の広さにも圧倒された。川上や沖や谷中を紹介してくれたのも彼だ。一緒に行ったコンサートは、PILの最初の来日公演、高橋幸宏、YMO、リアルフィッシュ、ヴァン・ダイク・パークス、立花ハジメ等いくつも。小遣いを出し合って買った「新青年」のビデオ。名画座に通ったり。そう、2枚組LPで復刻された笠置シヅ子のアルバムも。クレージーや竹中直人に目がなく、「笑ってポン」をビデオに録画しておくと、彼が竹中の部分ばかり繰り返し見て、大笑いしていたことを思い出す。
 遊びに来る彼の為に、ベータのビデオにそれらを納めたりした。宝島。ビックリハウス。そういう時代だ。

 高校時代からずっと彼の音楽のファンだった。音楽に対する求道的な姿勢と確固たる自己を持ち合わせ、何より、(彼に話すと笑われたが、私の目には)「スタイリッシュ」だったことが、友人でありながら憧れでもあったのだ。

 そして、彼は、音楽家になって、私は漬物屋になった。ほとんど連絡は取れなくなったが。
 彼の絡んだCDやビデオは出来るだけきちんと買っていて、いつも「いい仕事しているぞ(見事な仕事ぶりだと言う意味)」と思っていた。
 去年、OTOでのDJの晩に、彼を訪ねてみた。漬物を持参して。たっぷり話して、とても和んだ。例えば、「みんな言ってるのかな?」と聴くと、「え?」と彼が聞き返し、少し困った私が「いや。みんな言ってるのかなと思って」と小声で言うと、納得した彼は、耳元で「みんな言ってるよ」と返して、男二人で笑ったり。
 その日は、店頭で見つけたときはえらく嬉しかった、高橋幸宏と彼がふたりでにっこりしているドラムマガジンを持参して、「サインでもしてもらおうと思って来たよ」と。「幸宏さんのツアーで、スティーブ・ジャンセンとのトリプルドラム、あの頃からすると夢のようだよ」と。私の知っている彼の学生の頃の夢は、もうみんな叶ってしまったのではないだろうか、そんな風にも思ったのだ。
 彼も私との再会をとても喜んでくれたらしく、あまり感動したものだから、こちらも照れてしまい、最後には、一緒に行った大ファンだという友達を残して、別れの挨拶もせずに、先に帰った。
 そこで彼と会話したことは、ほとんどメモに取ってある。妙に思えるだろうけれど、彼が私に与えた影響というのはそれくらい大きなものだったのだ。いつも、彼は仕事でいいところを見せてくれたが、こちらもいいところをいつか見せたいと思ってきた。仕事で。ずっと。それは叶わぬ夢となってしまったが。

 小沢健二の「ヴィレッジ」というライブビデオに「天使たちのシーン」という曲がある。素晴らしい演奏だ。彼が幾度もアップになるその演奏は、故ギムラ氏に捧げられたものだ。何度も繰り返し見た。今日も見たのだが、・・・言葉にならない。

 しかし、こういうときでも笑顔でないといけない。人はいつか死ぬ。それが少しばかり早かっただけのことだ。そう思うことにする。
 心残りはたくさんあるが、ひとつだけ選ぶなら、きちんと御礼を言うことが出来なかったことだろう。
特別に感謝しているのに。それを果たしたくて、ここに書き込むことにした。

 さようなら。ありがとう。

 彼のことをずっと「特別」だと思ってきたけれど、その気持ちが永遠になってしまうのは、やりきれない気持ちでいっぱいだ。そして、思い出になってしまうのも。

 ありきたりだけれど、ローラ・ニーロの'And When I Die'(Laura Nyro:1966)の一節を引用させて頂いて、私からお別れの言葉としたい。どうか安らかに眠って下さい。

And when I die
and when I'm gone
there'll be one child born
and a world to carry on

◆渋谷毅 Essential Ellington@新宿ピットイン 6/14

エッセンシャル・エリントンを二ヶ月連続で聴けるしあわせ。

◆ 渋谷毅 Essential Ellington@新宿ピットイン

(渋谷毅(P)峰厚介(Ts)松風紘一(Sax,Fl)関島岳郎(Tuba)外山明(Ds) ゲスト:清水秀子(Vo))

渋谷さんは、恐らく、この日、大阪から帰京したばかり。大阪では、「しぶやさんと123!」の公演があって、ナガオクミさんのブログによれば、「5月のこもりうた」「月が出る」「小犬と結婚なさい」が新曲として演奏されたとのこと。うひゃあ。聴きたかったなあ。「月」と「小犬」は、渋谷さんに、先月差し上げた編集盤に録音したもの。さっそく譜面にしてくださったんだ。びっくり。・・・しかし、この月曜日は3つ会議があって、とても関西までは出かけられなかった。その会議を終えてかけつけたのが、ピットインでのエリントンとなった。

ライブ自体が、ひさしぶりだ。前回が先月26日の同じエッセンシャル・エリントンだから、約3週間ぶりということになる。ここしばらくでは、こんなにライブに行かなかったのも珍しい。でも、実際、普通の社会生活を地方都市で送っている者としては、これくらいのペースが当然なのかもしれない。

選曲は、大体先月と同じような感じだ。

そして、美しい。至福の時間だ。

素晴らしい演奏だった。今夜は、特に、渋谷さんのピアノ。見事だったなあ。

渋谷さんのライブの感想は、いつも同じような言葉が並ぶ。その意味で、ブログ向きではない。だが、この美しさに、何か新しいものを付け加えることに何の意味がある?こんな、この世のものとも思えない時すらある、美しい瞬間に、「前回と違う何か」を求めること自体、意味がないと、思うんだ。

でも、きっと、前回とまた違う感動が間違いなくあった。毎回、そうなんだ。

山を越えて聴きに行く私は、毎回、調子が変わる。だから、そのことも大きい。渋谷さん達の演奏以上に、こちらの心境の変化の方が、感動の質を変えるときもある。

今夜は、席が近かったこともあって、外山明さんのドラムスに注目、いつもだけど、本当に素晴らしいのだ。かちっとした美しさが、エッセンシャル・エリントンの身上と思うんだけど、外山さんは、言うなれば、常に「破綻」担当。天才だとつくづく思う。

さて、今日は(今日も!)客席に、かわいしのぶさん。ああ、お会い出来て嬉しい!小沢健二のコンサートに行ったこと、お話する。渋谷さんも行かれたそうだ。よかった。しのぶさんには、オザケンのコンサート、青木達之の不在が寂しかった旨話し、他のメンバーが一緒だったから、まるで全編が青木追悼公演のように、或いは、不在が「在」を生むような形で、「青木が居たコンサート」になっていたと話した。思えば、昨年の「SONGS ARE OUR UNIVERSE」、10年ぶりのスーパージャンキーモンキーのライブも、青木と同じ頃亡くなったむつみさんがそこにいるようなライブだったのと同じだと、私は感じた旨、しのぶさんにお話した。今月23日には、しのぶさん達SUPER JUNKY MONKEYのDVDが発売になるし、8月3日はクアトロで昨年に引き続き、彼女達のライブが観られる!今から、とっても楽しみなのだ。

しのぶさんに、栗コーダー・カルテット、渋さ知らズなどで活躍されている川口さんを紹介してもらう。音源いっぱい持ってます。うれしい。

それにしても、別にそのように選んで過ごしているわけではないのに、青木達之は、亡くなって十年以上たった今も、俺のそばにいるような気がしてしまう。柴草玲さんが来週20日にしらいしりょうこさんと共演するライブが南青山マンダラであるので、私は勿論出かけるのだが、そのライブに川村結花さんがゲストで登場されるそうなのだ。川村さんの2000年のアルバム『ホーム・アゲイン』の冒頭に「Here There」という曲が収められている。当時、音楽業界の友人から、この曲が青木のことを歌った作品だと伺って、早速聴いた。涙がボロボロと流れた。もし、この日、川村さんとお話する機会が得られれば、この曲のこと、御礼を言いたい。

こだま和文さんの「レクイエム」は勿論、僕は、高橋幸宏さんの「Everyone says I love you」も青木に捧げられた作品に違いないと思っている。そして、この川村さんの作品。青木は愛されて幸せだ。

オザケンのツアーで、NHKホール最終日に、青木のご家族が来ていて、小沢健二は「天使たちのシーン」を青木に捧げてくれたそうだ。ありがとう。

・・・胸がいっぱいだ。

そのことに関連して、かつてのパラネットのBBSに載せた文章をこのブログにも再掲することにする。

◆ピナ・バウシュ ヴッパタール舞踊団 特別公演「私と踊って」Komm tanz mit mir(1977)@新宿文化センター 大ホール 6/11

大好きな柴草玲さんが熱狂的なファンであり、また、もうひとり別の友人がかつて来日公演に出かけて感激していたのを知っていることから、普段、舞踏の公演を観に行くことの滅多にない私が、今回、急遽出かけることにした。ピナ・バウシュは最近亡くなってしまい、つまり、私は間に合わなかったわけだが、今回は追悼公演。玲さんのブログで公演の存在を知ってから、切符を急遽手に入れた。それも、軽い気持ちでヤフーオークションを覗いていたら、定価で終了寸前となっていた一枚があり、これを落札させて頂いた。実際に会場に着いてみたらびっくり。最前列中央である。何だか、私のような一見客では申し訳ないような気持ちだ。

◆ピナ・バウシュ ヴッパタール舞踊団 特別公演「私と踊って」Komm tanz mit mir(1977)@新宿文化センター 大ホール 6/11
振付・演出 ピナ・バウシュ
美術・衣裳 ロルフ・ボルツィク
音楽 古いドイツ歌謡より
リュート伴奏、独唱、合唱

私は、映像・文書等を含めてピナ初体験。本公演は彼女に敬意を表し、その偉業を称えつつの追悼公演であろうから、本邦初演であるとともに、選び抜かれた作品として、演目が選ばれたに違いない。

私は、実は、ずっと痛みと迷いの中で、この極めて美しい舞台を観ていた。体験した。そして、終演後、パンフレットで、男女がテーマと読んで驚いた。

私は、この舞台を、身につまされて観ていたのだ。「自由」と「制度」(社会)と・・・というテーマとして、観たのだ。

私は踊りたい。あなたと。・・・でも、私は踊れない。それだけにとどまらず、そういう私は、あなたにまで、踊れない私の価値観(私は制度上やむを得ないと思いこんでいる)をおしつけて、制約しようとする。強制しようとする。

しかし、最後の最後には、自ら踊ることを決意する。ボロボロになってから。私は疲れ果てている。自然なことだったはずなのに。踊りたいから踊ることは。

私だって踊りたい。だから、この舞台の趣旨は、とても痛く感じているのだ。

でも、我々はユートピアにいるわけではなく、踊れないと思う者が想像するとおり、踊ったあとの現実は、甘くないような気がしている。踊った姿は、必ずしも美しいものではない。

しかし、恐らく、踊るのが、正しい。

そう、当然の如く思わせる舞台。

美しい歌が「歌え!」と言われると、みじめな音になる。そのように「自由」とは重いものであり、この世で獲得するのが、簡単なようで、実は全く簡単でない。ものすごく難しいものなのだ。

だから、

舞台の最後に「私と踊って!」と全員にたたみかけられた観客は、容易に立ち上がれず、幕となるのだ。

覚悟を決めて「自由」を生きている人にだけ、「一緒に踊りましょう。」と答える資格が与えられているような気がした。何人かのミュージシャンの顔が頭に浮かんだ。柴草玲さんをはじめ。

俺は・・・。まあ、考えているうちは話にならない。

まあいい。この舞台が「男女」がテーマだというなら、「男」には、社会や制度やしがらみや常識や規定概念、保守といった役割が、一方「女」には、自由や大自然や根源的な情熱、欲望などが象徴されているように、私は観てしまった。そういう意味では、「女」は偉大だ。一方、「男」はどうしようもなくセコイ。

「先進国」の21世紀。「女」の世界に進んでいく。そのはずだ。俺も、心の中で「女」になるとも。20世紀までの「男」の領域は、どうなっていくのか。そこで得た果実は、これから無意味となりうるのか。

といいつつ、特に実業の世界で「男」も生きることになる俺(達)は、一体どこへ行こうとしているのだろう。

77年、資本主義、物質文明が成熟の一途をたどる中で創られたこの作品。俺も、いまだ20世紀を生きているのだなぁ。

“Komn tanz mit mir.”

私と踊って。

踊るとも!・・・みっともなくとも。

2010年6月 1日 (火)

オザケン「ひふみよ」雑感

小沢健二の「ひふみよ」が、「レビュー2010」というツアー名だったとしても違和感がなくて、しかも、それにすっかり感動したこちらがいる。そのことが、それから1週間経った今も、とても大きなこととして、私の胸にとどまっていて、とてもとても不思議な浮遊感をいまだに感じてしまっている。

小沢健二は、青木達之という私にとってとても重い名前を共有している存在であって、しかも、渋谷毅という音楽家の存在をぐっと身近にしてくれたという意味においても感謝は尽きないが、もちろん、近いようで、彼の存在は、星のように遠いところにある。

多くの音楽家の前に、かんたんにひれ伏して、ただただ感動に打ちのめされることに習慣付いている私が、彼には、何か言いたくなる。批判じゃないけど、何か、ちょっと言いたい気持ちが、渦巻く。

今、思い出す。レビュー96。音源としては未発表のままになっている「レビュー96」での新曲が、大好きな Van Dyke Parks を思わせるサウンドで、そういえば、学生時代、『Jump!』は、青木と共に聴いたのだったとか。そんなことが、じわりと胸に来た公演だったのだ。

思い出す。大阪まで出かけて見たlovers。渋谷毅さんの生演奏初体験だ。素晴らしかった・・・。それが、今につながっている。川端民生さんは、そのとき限りだったが。

彼に関連して、彼の歌に関連して、いろんなことがあった。だから、すごく複雑な思いが溢れてくる。なんといおうと、彼の書いた歌の素晴らしさに、僕は打ちのめされて続けるのだろう。この国に小沢健二がいたから、私は日本人で良かったと、そう思っていたくらいなのだ。

紅白歌合戦に彼が出場したときの演奏を、ちょっと前に、ビデオで眺めた。渋谷さんが出演していないのを確かめる為だったのだが、はからずも、その映像での小沢健二があまりに可愛くて、美しくて、輝いていたことに、胸に甘酸っぱいものがこみ上げた。俺も、その頃は、そんなような可愛い、美しい青年だったのだ。同じ時代を生きた。そのことも思った。

そういう諸々、・・・大したことじゃないが、・・・それでも、これが大したことじゃなかったら、俺はなんで音楽なんて聴いてるのか、音楽なんてものを人生のなかでそれなりに特別の位置に置いて、たっぷり時間を費やしてきたのか、わからなくなってしまう。たぶん、そういうことどもが、自分としては、大したことになってしまう・・・そういう位置に彼の残した作品と私との関係は、あったのだ。

・・・だから、「ひふみよ」の日の日記に書いた通り、ライブの感想を一言で「ありがとう」と言えてしまったことに、実は、我ながらショックを受けているのだ。このフクザツ極まりない感情が、帳消しかよってね。そんなわけはないんだが、一回のライブで。・・・でも。

もういい。次へ行こう。一回、戻って確認出来た。やっぱりすごく、ものすごく、いいものだったって。やっぱり、胸を張って言える。宝物なんだ。

だから、その宝物を持って、先へ行こう。

・・・そうやって気持ちの整理をつけたい。本当のひと区切りという感じだ。

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