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2011年2月

2011年2月28日 (月)

◆ね.3@西荻窪アケタの店 2/26

2月の仕事が終わった。短い月でした。

どうしよう。この夜のことは、胸にしまっておこうかとも思ったのだけど。

ひと月、経っている。私も、決して、軽い気持ちで聴きに来たんじゃないのだけど、メンバーの思いは、この「西荻窪」の「アケタの店」で、古澤さんが生前決めていたスケジュールで、古澤さんのいない「ね.」で、「古澤さんの曲」を演奏するということが、どれほど重みのあることだったか。この日のライブ、キャンセルせずに、やって頂いたことに、感謝しかないのだけれど。

アケタの入り口の看板に、みかさんご出演時に貼られている、恒例のみかさん清書によるメンバー表(私も、3年前のちょうど今頃、初めて「ね.」を聴きに行った晩にみかさんから頂いて、今も大事に取ってある)に、「古澤良治郎」の名前がない。それだけで。

◆ね.3@西荻窪アケタの店 2/26
藤ノ木みか(per,vo)石崎忍(as)小野アイカ(g)早川徹(b)福島紀明(ds)
ゲスト:谷口純子(org)
後半飛び入りゲスト:石田幹雄(p)ホットの岡部さん(ds)

「ね.」は、いつも痛快なバンド。楽しくて、面白くて、楽しくて、大好きなバンド。でも、この夜は、そうである以上に、何より、美しかった。曲間に、古澤さんの思い出話たっぷりの、つとめてたのしく、でも聴けばやっぱりしんみりの、長めのMCを挟みつつ進行した渾身の演奏。

前半が「たぶん思ったことあんまりまちがってない」「たまには西荻に遊びに来ませんか」「雨のニューオーリンズ」「僕のキリンが来た」。後半が「オーデュボン・ズー」「いきなりお墓だぜ」「ムーンライト・スランバー」(<岡部さん飛び入り)「ガト」「ゼリー」「ゴンベエ」。ね.では、はじめて聴かせて頂く曲も多くて、きっと古澤さんの長いキャリアを俯瞰するような選曲だったのでしょう。

「悲しい曲が多い。女々しいひとだったから。」・・・最愛のみかさんにそう言われては、天上で苦笑いしているかな。可笑しくて、悲しくて、もう本当にせつなかった。「ガト」から「ゴンベエ」が、その悲しい曲。ゲストの谷口純子さんキーボード、後半飛び入りゲストの石田幹雄さんのピアノを含め、ちょっとこの世のものと思えないくらい、美しい演奏だった。胸がつまって、震え、やっぱり泣きそうになった。

終曲「ゴンベエ」終盤に、福島さんが、メンバー紹介。全員をフルネームで紹介したところが、古澤さんがたぶんいつも呼んでいるように「トオル」とか「シノブ」とかって紹介する古澤さん流を逆に思い起こさせ、そして、最後に、アケタの天井に向かって「古澤良治郎!」と。終わらないで欲しい曲が終わる。

・・・正直、言葉ない。素晴らしかった。

でも、この日の音楽の素晴らしさは、西荻窪の夜空に吸い込まれていく。

みかさんが見た古澤さんの夢に出てきたというウメッシュを、西荻駅前のファミマで買って、夜の中央線で飲みながら東京駅に向かった。

2011年2月25日 (金)

「コピーライターの左ポケット」from「柴草玲のイヌラジ」

宣伝というか、なんというか。

弊社が提供させて頂いてるFM栃木のラジオ番組「柴草玲のイヌラジ」。ちょっとイイ番組です。その中に、大手広告代理店などで現在ご活躍中のコピーライターの方達が、仕事の制約を離れて作られた文章を、柴草玲さんが朗読し、しかも、毎回、そのBGMもご自身で見事に軽々と即興演奏録音(byカシオトーン)されて、放送されるコーナーがあります。(「何故、柴草玲さんがFM栃木なの?」と同じくらい「何故、このコーナーがFM栃木のイヌラジなの?」でありますが、それが、ひとの縁の不思議なところです。)

題して「コピーライターの左ポケット」。

毎週、楽しみに聴いているのですが、先週放送された作品があんまり気に入ってしまい、どういうわけかツボで、もう好きで好きでたまらなくなってしまいました。それで、間違ってこのサイトに来てしまった人にも、紹介したくなってしまいました。

それは、細川美和子さん作「スペインの灰皿」。

リンク:「コピーライターの左ポケット」2011年02月20日
http://01pk.seesaa.net/article/186849975.html

このページの動画をクリックして頂けると、文章と同内容が、柴草玲さんの朗読で聴けます。

・・・私は、この3年ほどの間、すごく「天狗」に会ってるような気がしている。このブログに登場するような人達。細川さんのこの作品をとても気に入ってしまったのは、そのせいかもしれません。古澤さんとかは「天狗」というより「仙人」かも。渋谷さんも玲さんも「天狗」じゃないけど、なにか、なにか、別の世界のひとのよう・・・。「灰皿」くれそうな人もいっぱい。そして、それにあきれる私。でも、それがここちよくて。

もし、この作品を気に入ったら、同じサイトにある、他の作品も是非聴いてみてください。私は、今、一番新しい「スペインの灰皿」が一番好きですが、他にも、きっと気に入ってもらえる作品があると思います。

さあ。「現実」に戻らなくちゃ。

2011年2月21日 (月)

◆渋谷毅(pf)ソロ@西荻窪アケタの店・夜中 2/19

毎回、同じで、毎回、新しくて、毎回、今夜が最高なのだから、本当に不思議な渋谷さんのピアノ・ソロ。このところ、アケタ深夜は、毎回そうなのだけど、栃木から出かける前から、疲れてて、眠くて、とてもしんどい。交通事故だけ本当に気をつけなきゃ。でも、来てよかったなあって、思って、その夜の演奏を反芻しながら、また栃木に車を走らせる。

◆渋谷毅(pf)ソロ@西荻窪アケタの店・夜中 2/19
飛び入りゲスト:松倉如子(vo)

渋谷さんの夜中のライブ、立ち見ならぬ床に座り見の出るほどの盛況。アケタの店に30人ほどのお客さんが埋まった。特に後半は、いつもより少し力(それともお酒?)が入っているような演奏でした。素晴らしかった。素敵でした。

お月様まん丸ですごくきれいな夜だった。だからかな、「ポルカ・ドッツ・アンド・ムーンビームズ」でスタート。前半は短め、後半はたっぷり。飛び入りで、遊びにいらしてた松倉如子さんが一曲、渋谷さんのピアノで「トンネルの歌」。恒例になりつつあり、うれしい。松倉さんは、次回の「しぶやさんといっしょ」に初ゲスト。以前アケタで聴かせて頂いた、彼女の「夢のなか」素晴らしかったから、たのしみ。

今、自分の周辺で、幾つかのことが混乱していて、整理がついてない。その整理がつけば、渋谷さんのライブは、もっと聴きにいきたい。でも、今、自分の切実に好きなことを優先しちゃうと、更に混乱に拍車をかけるように思えてならなくて。・・・スケジュール帳に書き込んである渋谷さんはじめみなさんのライブ予定、ほとんど行けずに塗りつぶす日々です。・・・とは言え、世間的に見れば、このブログに書いてある通り、随分出かけていることになるのかしら?東京在住でないのですからね。・・・でも、この日の前日にあった新宿あ・うんでのWMAのライブとか、当日ぎりぎりまで迷って、っていうのもあり、とにかく「整理」がついていないから・・・。

でも、そんな状態だからこそ、切実で、喉が渇いていて、そこに注ぎ込まれる水が美味しいのかもしれない。土曜日の深夜くらいは、誰に遠慮もなく、と願いたいもので、実際、私も月一回の恒例とさせて頂いている。ありがたいこと。眠いなんて、言ってられません。・・・睡魔と戦いながら渋谷さんの演奏を聴くのは勿体ないような気もしていたが、今夜、アケタの店の島田さんには、「演奏で眠っちゃったら、それは、いい眠りですよ」と言われ、なるほどなあと感心。しかし、開演前、目をつぶっていたが、渋谷さんの演奏が始まったら、ばっちり覚醒、そして、休憩時間にまた眠りに落ちて、後半ばっちり目が覚めて、素晴らしい演奏を楽しんだ。正直に出来ている身体也。

「混乱」なんて書いたけど、「心の持ちよう」ではあるのだ。・・・なるべく、怒らず、皮肉を言わず、人を嗤わず、自嘲もせず、黙って、やるべきはやるようにしたいものだ。ただそれだけで整理がつくわけでもないのだが。・・・大体、「へーき」なふりしてるのが、いかんのかもなあ。それじゃあ、動かないものな。・・・言えるのは、「今」を大事にすることだべ。んだんだ!だめだんべえ。と、慣れない栃木弁を使ってみるのだ。来月の渋谷さんのソロに、もう少し、いい精神状態で行けるように、ひと月、がんばってみよう、と思っている。

2011年2月17日 (木)

◆野澤享司(vo,g)、柴草玲(vo,p,acc)@宇都宮ルシファー 2/16

宇都宮で柴草玲さんのライブを見るのは、3度目。私の住んでいるところから宇都宮は東武線で1時間弱。東京に出向くのと、そんなに変わらないのだけど、でも、やっぱり近い。FM栃木(RADIOBERRY)「柴草玲のイヌラジ」の収録があるので、玲さんは2週間に一度、宇都宮にいらしてて、でも、この2年間でライブは、3回。もっと見たいなあ。でも、回数が少ない分、毎回、スペシャル感はあって、栃木ならではの「しもつかれ」「もてぎエンジェル」という名曲が聴けるのも、宇都宮ならではかな。

思えば、今日のオープニング「しもつかれ」という曲は、玲さんと私を最初に結びつけた作品で、2年前の3月3日に、かわいしのぶさんとのデュオ「マドモアゼル玲とシノブプレ」のライブで初めて聴かせて頂き、度肝抜かれ、大ファンになった。その日、ステージから「栃木出身のかたいらっしゃいますか?」とか問われたので、正直に手を挙げたところ、たしか「栃木県出身のあなたに捧げます」と言われた、栃木県の郷土料理の歌。感動した。ど真ん中!聴き終わって思わず「ブラボー!」とつぶやいた。この「しもつかれ」に加え、もはや幻の名曲「カシオ讃歌」そして、やはりこの日初めて聴いた「さげまんのタンゴ」(この日は、ミュージックバード打ち切りヴァージョン)。その三曲が、栃木→FM栃木→番組提供のきっかけとなり、かわいしのぶさんを仲人に「柴草玲」と「新生姜」が結びついたのでした。・・・いくら経営者だからって、これは私のプライベートの領域の話。会社の私物化はいけません。そこで、新生姜をつかった料理のコーナーを設けて欲しい旨、お願いしたところ、快諾を頂いて、晴れて、久々のラジオ番組提供と相成ったのでした。・・・番組は、正確なところはわからないのだけど、2002年4月から続いていて、ほぼ満9年。この2011年4月に10年目に突入する長寿番組。たぶん、今年の11月には放送500回を迎える!8年目からお付き合いさせて頂いている我が社提供も、この2月27日放送分が100回目となる。継続はちからなり。

さて、今夜の玲さんは、入店してお目にかかって「おっ!綺麗」って感じ。肌つや美しくて。旅から戻られて、すっきりされたのかも。お元気そうで、うれしい。

◆野澤享司(vo,g)、柴草玲(vo,p,acc)@宇都宮ルシファー 2/16

最初は玲さんのセット。今夜も、いいライブだったなあ。・・・「しもつかれ」「もてぎエンジェル」「雪」「アクアリウム」「ローランド・カークが聴こえる」「会話」「さげまんのタンゴ」。・・・イヌラジ・オープニング・テーマ曲「ローランド・カークが聴こえる」もライブでは久々に聴かせて頂いて、実にかっこよく。最後「さげまん」は「Radio Edit」と称された、ややショートヴァーションで。でも、野澤さんのファンの方達、一番盛り上がっていた感じでした。・・・久しぶりに、自然な玲さんを見せてもらえたような、ひとつひとつの音の粒だちがキラキラして、素敵でした。音楽の大先輩野澤さんとの共演ということもあり、ちょっとだけよそゆき、でも、自然体。そんな感じで、こちらもすごくリラックスして楽しめた。栃木って、お客さんも、大体、いい湯加減で、やりやすいんじゃないかなあ。やっぱり、もっとたくさん、ここで、普段着のライブが聴きたいな。

続いて、野澤享司さんのセット。含蓄を感じさせる音楽。今では「アシッド・フォーク」なんて呼ばれるそうだ。なるほど。たしかに。でも、「アシッド」だろうがなんだろうが、野澤さんは、たぶん自分の音楽を続けてこられた方なんだろう。それが伝わる確固たる自負に裏打ちされた演奏でした。継続はちからなりと、ここでも。・・・今年、還暦ということだが、この世代で、今も続けてらっしゃる方々って、やはりすごいものがあるなあと。否応なく「自分」が溢れてくるのだ。「長いから眠くなるかも」などとおっしゃっていた「カム・トゥゲザー」〜「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ」のメドレーのカッコいいこと。最後の曲で、玲さんを呼んでセッション。「夕暮れ」。(<こちらも、高田渡さんの代表曲との由。翌週の「イヌラジ」で、この日のライブ音源紹介で判明。失礼しました。)玲さんは、ピアノとともにヴォイス・インプロを披露。おふたりの演奏、誠にお見事でした。

アンコール。セッションとなると、たぶんお互いのオリジナルはまだよく知らないでしょうから、どうしようと話し合いがステージ上で行われた模様。しばらくして、共演が始まる。高田渡さんの「生活の柄」!こういう場所で聴けるとは!僕は、渋谷毅さんと高田渡さんのデュオの演奏、ライブで聴くことが叶わなかったのが、すごく残念に思っているので、玲さんのピアノがこの曲ではすごく優しく、まるで童謡のメロを弾くようなタッチで、丁寧に応じられていたのに、ちょっと感動して、特別なプレゼントをもらったような気がした。うれしいアンコールだった。

この曲が終わると、エルトン・ジョンの「グッバイ・イエロー・ブリック・ロード」が大音量で流れ、終演が告げられる。よかったなあ。

終演後、野澤さんと、少しお話する機会があって、斎藤哲夫さん、遠藤賢司さん、渡辺勝さん、かしぶち哲郎さん、鈴木慶一さん、あがた森魚さん、和久井光司さん等のお話を訊いて、なんとも歴史あり。野澤さんがかしぶちさんを慶一さんに紹介したというはちみつぱい誕生秘話が、最近読んだムーンライダーズ誕生にまつわる鈴木慶一さんのインタビューとすごく符合していたり、ちょっと感動した。野澤さんもかしぶちさんも栃木のご出身。「栃木県も、捨てたもんじゃないな」ということを、生まれも育ちも県外の柴草玲さんを通して教わるところが、なんとも灯台もと暗しであります。

(追記)この日、野澤さんは、柴草玲さんの音楽をほぼ初体験。玲さんのセットが終わって、自分のセットを始めようとしていた野澤さんが、こんなことを仰っていたのを思い出す。
「開演前に、好きなミュージシャンの話をしていた。みんなすごくうたのうまいひと。トム・ウェイツとかジョニ・ミッチェルとかちあきなおみとか。・・・今、柴草玲さんの演奏を聴いたら、そういうのが全部入ってるような、すごい演奏。俺達が若かった時代と比べて、音楽が進歩している、豊潤になってることが感じられて、うれしい」と。

野澤さんの世代ならではの言葉。広い意味での自作自演のポピュラー音楽は、野澤さん達の世代が、今に至る音楽家にまっすぐに影響するような方法を確立する一方、それなりの素朴な成り立ちの音楽も多かったはず。そして、時代が移る中で試行錯誤、今の時代の音楽家は、過去の豊かな歴史を踏まえて現れてきた人達。でも、そういう風に感じられるだけの、含蓄というか、センスのようなものがにじみ出る音楽家もそうはいなくて、柴草玲さんは、もちろんその数少ないひとり。若き天才なのだと、私は、自分がこれだけ好きなんだから、それは彼女はどう考えたってスゴイんだよと思ってるだけに、野澤さんに花丸もらった気がしたのでした。大事なことなので、追記しておきます!

2011年2月14日 (月)

【アーカイブ】遠藤賢司リサイタル@渋谷AX 2007/6/5 (mixi過去ログより)

(mixi過去ログ 2007年06月06日11:15 より)

◆遠藤賢司リサイタル@渋谷AX 2007/6/5

遠藤賢司(vo,g)

guest(第二部のみ):
細野晴臣(b)
林立夫(ds)
鈴木茂(g)

「遠藤賢司リサイタル」6/5 渋谷AXに行ってきた。
大体ライブは一人で行ってた。
客席見回しても、そういう人多かった気がする。
結婚してから、かみさんに子供任せて出かけるのも
気が引けて、また、僕が見たい奴には、
かみさん付き合わせるのもちょっと難しい類が多いので、
めっきり少なくなったけど、
今回は特別で、ひとりで出かけた。
そういうのは、
結婚してから、シネマの再結成ライブ以来2度目だ。

私にとっては、97年がエンケン・イヤーだった。
10年前。30歳。
当時の新譜、『夢よ叫べ』にもの凄く感動して、
当時苦しんでたオレはかなり励まされた。
同時に、数年前に買ってあった『不滅の男』(2枚組)を
繰り返し繰り返し大音量で鳴らして、
長い長い「輪島の瞳」や「外は雨だよ」に
どっぷりはまっていた。
一人の男の生き様を見せつけるものだったから。

それから、早いもので10年。
彼が還暦、オレが40だから、オレの20歳上ということになるのか。
久しぶりに『夢よ叫べ』を聴きたくなって、
数年ぶりに引っ張り出した。
「俺は勝つ」「荒野の狼」「夢よ叫べ」・・・
魂の名曲のつまった当時十数年ぶりのスタジオアルバム。
エンケン50歳の作品は、
40になったオレの胸にまた突き刺さってしまったんだ。

それで、
どうしてもライブが見たくなった。
勇気をもらいたかったのだ。

それで、AXに出かけた。
予想通り、遠藤賢司は、芸歴40年というのに、
たぶん本質的なところは、何も変わっていない。
変わらぬ芯を通すことに、人生かけている。
一曲一曲、喉を枯らし、
酸欠状態でぶっ倒れる。
そして、ひとりぼっち。
すごい人。

優れた芸術には、「寂しさ」が、必ず感じられるもの。
それは、つきつめた人間のつきつめた表現は、
他を寄せ付けぬ強さを持つが故に、
孤高だから。
ひとりきりの彼は、本当に美しく、
それ故に、
うかつに触れてはいけないものになってしまう。
聴き手も又寂しさを感じるのだ。
決して、簡単に一体とはなれない人なのだ。

「天然記念物」とか、
「人間国宝」とか、
「秘宝」と言う言葉がついつい頭をよぎってしまう。
こんな才能はほかにはないもの。

そんな力いっぱいの彼が、
第2部で、尊敬する旧友、
細野晴臣・林立夫・鈴木茂の3氏と共に演奏するときには、
まるで子供のように、やさしい演奏で、
この一瞬、ひとりぽっちでないことを確認しながら、
でも、それが、奇跡のような瞬間であることを
本当に大切にしながら演奏してることが伝わってきた。
なんてまっすぐな人なんだ!

轟音のエンケンバンドや弾き語りで見せる
せっぱ詰まったギリギリの力強さの一方で、
同じようにギリギリの寂しさと戦っている人なんだと
そりゃあ見てる全員が知ってる。

こんな才能は、どこにもない。

そして、そういう才能は、
実は、
我々にも可能性としてはある。

それが人間というものなのだ。

だから、お前一人しかいない自分を大切にしろと、
ただそれだけを強烈にメッセージとして受け取る。

美しいものを見せて頂きました。
エンケン。
本当にありがとう。

+++++++++++++++++++++++++++++++
<自分によるコメント1>

20世紀中盤を代表する偉大な指揮者フルトヴェングラーの研究家宇野功芳は、フルトヴェングラー研究の自著で以下のような言葉を述べています。

「宗教が結局は自分の心を見つめるものであるならば、芸術もまた同じだ。人間の心を凝視し、表現するのが芸術の本質だと思う。それだからこそ、“真の芸術”は時代を超えて生き、鑑賞する者の胸を打ちつづけるのである。そして人間が本来持っている、歓びや哀しみ、やさしさや憧れ、欲望や憎しみのようなあらゆる感情の中で、僕は、〈情熱と寂しさ〉こそ根本になるものと信ずる。」

私も、この言葉に激しく同意します。

彼は、そのような〈情熱と寂しさ〉を持っている超一流の芸術家の一人として、フルトヴェングラーを評価しているのですが・・・

〈情熱と寂しさ〉とは・・・

まさしく、私達がエンケンから感じるものにほかなりませんよね!

思えば、フルトヴェングラーが最も得意とし、演奏回数も圧倒的に多かったのがベートーヴェンでした。

「歓喜の歌」

つながっているような気がしてなりません。
そもそもベートーヴェンの芸術もまた、〈情熱と寂しさ〉を兼ね備えたものであったに違いないですから。

ゆうべ、彼が人間の心を凝視した結果として生まれ出ずる〈情熱と寂しさ〉を見せつけたこと、それは、自分の心を凝視する体験でもありました。

だから、私は、ゆうべから生まれ変わったような気さえしているんです。

 お前がやらなきゃあの夢は 二度とは瞬かぬ
 ソウサ~ ソンナ~夢に負けるな友よ
 夢よ叫べ

この歌の意味を、これまでよりずっと強く知らされた夜でした。

+++++++++++++++++++++++++++++++
<自分によるコメント2>

卑近ですが、私も、趣味が流行り物とかでないから、孤独だって思ったりしてました。
また、会社を経営してるので、経営者って孤独だ・・・なんて、よくよく思ったりしてしまいます。

でも、ゆうべ改めてエンケンに教わったのは、
人間は、誰であれ、
己が人生を本当に突き詰めれば、
(彼の表現を借りるなら「命を燃やす」なら)
その先に待っているのは、「孤独」なんだってことでした。

「甘ったれるなよ!」
孤独に耐えろって、
そして乗り越えろって、
彼は言ってるように思えてなりませんでした。

なんてことでしょう?
人間は、必死で努力してがんばって、
でも、その先に待っているのが「寂しさ」だなんて。
僕は、そんなのイヤだな。

でも、それが、たぶん、人間の真実だし、
そうであれば、寂しくない。
自分ひとりが寂しいわけじゃないから。
自分を貫いている人はみんな同じだから。

そう言ってるんじゃないかなって、
彼がひとりのときと、セッションのときの違いから、
すごく感じました。
そして、4人とも別の人生を歩み、
各々の演奏は見事に孤高でしたよね。

だから、人真似で安易に群れるなって、
ついついエンケンはお説教みたいな歌も歌います。
そんなことしたって、寂しさは埋まらないんだぞ!
って言ってるような気がします。
その通りだって思うんです。

子供のいじめってありますよね。
寂しいから群れる。
群れない人は、仲間はずれでいじめにあっちゃったり。
確かに、同じ趣味とかそういうもので人は固まりますけど、
でも、そうしたら寂しさはなくなるの?
って言えば、
そんなことはない。
究極は寂しさなくなりませんよね。
自分と同じ人間はひとりもいないんだから。

違いを認める。
孤独を認める。
覚悟を決めて、自分の道を行く。

そうすると、「俺は寂しくなんかない」って
言えるんだって思うんです。
そうしてる奴らを知ってるから。
オレだけじゃないから!

・・・でもでも、それは「強がり」です。
そりゃあ寂しい。
寂しいのは、嫌ですね。
そういうところ、ものすごく裸で出してくるから、
エンケンは胸に来るんですよね!

でも、究極、それはどうしようもないことですよね。

たとえば、ゆうべのセッションは、人生の中で一瞬の出来事。
最高ですよね。素晴らしい瞬間。
そういう最高の瞬間を手に入れるために、
孤独な道を進むんだってことなのかもしれません。

細野さんとエンケンさんは、友達だけど、
音楽の志向はまったく別のものをやってる。
でも、自分の道を行くということと、
そうしている相手に対する敬意で、
互いに認め合っている。
だから、寂しくない。
そして、きっと寂しいのだろうと思うんです。

そして、彼らが孤独で、よかったって、思ってしまいます。
彼らがそれぞれ唯一無二なのは、
彼らがそうあることによって引き受けている
「寂しさのおかげ」なんですもの。
それを引き受けてくれているおかげで、
僕らは、彼らの素晴らしい仕事に接することができる。

オレは、そこまで行けるのか?
オレは、そこまで耐えられるのか?
オレは、そこまで命を燃やせるのか?

情熱と孤独。

出来る。きっと。
だから、・・・夢よ叫べ。

今は、そう信じて、覚悟を決めて、がんばろうって気持ちです。
そういう「美しい人」を見てしまったから。

(・・・ひええ。まとまりのない文章だ。〈情熱〉だけで書きましたんでどうか御容赦を!)

◆遠藤賢司バンド「不滅の男」@吉祥寺ROCK JOINT GB 2/12

こうなることは、わかっていた。打ちのめされ、引き込まれ、突き放され、ヒリヒリとするように削られ、グサリと突き刺され、二本の足で立つこと・胸を張ることの大切さに気づかされ、人間の美しさに心洗われること。わかっていた。そして、その通りになった。・・・オレは、エンケンさんのような人に、叱られたかったのかもしれない。本気でぶんなぐられたかったのかもしれない。

◆遠藤賢司バンド「不滅の男」@吉祥寺ROCK JOINT GB 2/12

出演:エンケンバンド(遠藤賢司Vo,G/湯川トーベンB/石塚俊明Ds)

エンケンバンドの轟音は、伊福部昭のゴジラ音楽のように響くこと、幾度も。トーベンさん、トシさんも、すごい。エンケンがエンケンであろうとするとき、たった3人の舞台で、彼らが彼らである美しさにも、感動させられた。・・・「じゃあ、お前は?」って、我が身を振り返る。

今、しんどいところだとしても、「甘ったれるな」「イヤなら出てけ」が答えだ。

エンケンさんの音楽に一貫してるのは、

「俺は俺の歌を歌う。お前は、お前の歌を歌え。」

ってことだと思ってる。

・・・オレの歌・・・。

こういう「仕事」がある。こういう「人生」がある。・・・ということに、今回も、前回も、前々回も、激しく動揺しているんだ。でも、変わらん。なんということだ。なんとか、今の局面を打開したい。

エンケンさん。今日、こう叫んでいましたね。轟音の中、聞き取れない無数の重い雄叫びの中で、

「努力できるってことだって、才能なんだ!」

って、その一言だけはずっしりと響いた。(・・・3人のソロを含む大長編「東京ワッショイ」の中で、歌われた「チャントヤレ!エンケン!」という新曲の一節だ。この曲、本当、すごかった。収録予定の新譜が、ものすごく楽しみだ。・・・それにしても、「チャントヤレ」か。この人が言う、この言葉。・・・それだけで、泣けてくる。)

そうなんだ。努力が足りんの。・・・たぶん、才能とか性格とか境遇とか運とかのせいにしてる。でも、ちがうのさ。本当の「才能」って、そんなことじゃない。そして、その「才能」は、オレにもある。だから、戦えって。歌えって。

帰ってきたケンちゃん。夜汽車のブルース。もしも君がそばにいたら何んにもいらない。・・・不滅の男。男のブルース。満足できるかな。踊ろよベイビー。荒野の狼。黄色い猿。君にふにゃふにゃ。プンプンプン。東京ワッショイ。・・・頑張れ日本(日本サッカーの応援歌)。・・・夢よ叫べ。

八百長問題にゆれる大相撲のニュースの日々、エンケンは、どんな「輪島の瞳」を聴かせてくれるのだろうなんて、そんな気持ちを、ちらっと持っていた今夜、「輪島」は披露されず、そのことも、こちらのケーハクさを思い知らされもした。

あっという間の二時間。ライブで初めて聴かせて頂いた、ギラギラした「荒野の狼」が忘れられない。

エンケンさん。オレは、初めて、あなたのライブを見た時に書いた感想を、もう一度、自分で読みたいと思った。正直な気持ちが並んでいる。上っ面な言葉だったと、気づく。オレと来たら、その当時からも、なにも変わっていない。せっかく、こんなに、一生懸命な姿、見せてもらっているのに。・・・打ちのめされるのは、「恥ずかしい気持ち」でいっぱいになるってことも含まれているんだ。

今日も、「オレは、オレのためだけに歌ってる」って。そう言い切るあなたが、オレにどれほど大きなものを与えてくれていることか。

最後の「夢よ叫べ」。ああ、俺に歌ってくれている歌だ。悔しいけれど、泣けてくる。・・・もう一度、出直す。がんばろう。・・・エンケンさん、ありがとう!

2011年2月12日 (土)

★少年アヤ from 「わくわくSHIBUYA」@トーキョーワンダーサイト(渋谷) 2/9

9日。食品見本市であるスーパーマーケットトレードショー@東京ビッグサイトを訪問後、渋谷に向かい、今度こそというわけで、少年アヤの作品が展示されている「わくわく渋谷」という展覧会を見てきた。

★少年アヤ from 「わくわくSHIBUYA」@トーキョーワンダーサイト(渋谷) 2/9

私は、当時、ピンク部員(ピンクとは、ピンクレディー也。未唯+カルガモーズのライブを見せたい!)だったアヤちゃんの高校時代のブログが、なんとも好きだった。和んだ。昔のブログはいちど、ほとんど消去してしまったと聞いた。惜しい!でも、その気持ちはわかる。俺も、中学生のとき書いていた日記(中学生なりにテツガクなもの)を、やっぱり数年後に破り捨ててしまったのだ。今読みたいと思うけれど、だいたいどの辺がどうだったかみたいなことは想像がつき、ちょいと自己嫌悪で、かわいくもあり、愚かだなあと思ったり、かわんねえなとか、早熟だったなとか、頭でっかちだったなとか、結局、そんなようなことを思うんだろう。捨てられるには捨てられる理由があるのだ。本人にしかわからないとしてもね。・・・で、アヤちゃんの文章も、当時からすると、だいぶ変化した。だらだらした日常を描いてみせるけど、思うところがフクザツになってきてると思う。

そのフクザツさが、作品展での作品にも現れていて、はじめて拝見したが、芸能ネタで、心の深層をえぐるという、ナンシー関さんらが得意としてきたやり方を、よりえげつなくやっている感じだったり、「青春」だなあと、前と同じ感想だが、そう思い、こうやって「自由」を手に入れるやり方もあるなあと、勉強になった。そして、実は、根っこに流れる「純粋さ」が、俺の好みなのだ。篠田某の首が太くて男のなにかに見えてしまうAKBらしき絵や、誰ひとりわからないけどジャニーズと言われればなるほどの「ジャニーズと性」。身近な感覚で社会派だったりするのも面白い。えげつなさにピュアが溢れているんだよなあ。世間が放ってしまって受け容れちゃってることを、「そう?!」と問い直す青い視線。そーだそーだ!と共感に至る。

そして、芸術というのは大変なものだなと、改めて。身を削るが如き、戦いの果てに産み出されてくるもの。

(またしても)エンケンさんが(またしても)「輪島の瞳」で、こう歌っている通りだ。

「いつだって うぶな気持ちで 一生懸命やらなきゃ
 人の気持ちなんてものは 決して打ちはしないのさ」

展覧会の一角、ひときわ目を引いたこと、ちょっとぐっと来ちゃったな。・・・考えてみれば長い付き合い、もう身内みたいなもんだけど、その「身内」が、こうやって精一杯「生きている」姿を見せてもらえるって、やっぱり、うれしい。親心っぽいうれしさ。・・・それから、「手」だなあ。やっぱり。少年アヤの手は、いい手だな。この日感じたのは、精魂込めて手でつくったものの魅力だろうなあ。20歳の女性が、「自分自身」と対峙して、「自分なり」を「自分のかたち」で提示している姿に、打たれたわけだ。個性的なのは当たり前。個性的であろうとして、でなく、書きたいモノ書いたらこうなったというところが、本当の意味で個性なんだから。今の作風は突飛だとも思うけど、彼女は、エキセントリックなことしなくたって、きっと、いい作品をきっと生むと思う。業態じゃない、ジャンルじゃないんだよね、人間なんだ。アヤちゃんは、魅力的だからなあ。ありきたりを拒絶しつつ、ありきたりの「価値」を認めつつ。そういうフクザツな人間が、まっすぐに現れていれば、それは有無を言わせない迫力になるんだわ。

これからも、がんばれ!少年アヤ。オレもがんばるよ!

・・・と、会場を出ようとしたら、おっと、アヤちゃん、いらっしゃったのか。初めて生で対話。うれしいうれしい。やたら照れてしまう。「ガロ」に今、載っていてもおかしくないねとか、そんな「評価」をしてしまい、ワタクシ生意気でしたね。で、二言三言話したあと、「これあげる」って、フエラムネをポケットから出して差し上げた。会えたら渡そうと、アヤちゃんに買ってきたのだ。むか~し、彼女のブログで、フエラムネの話を読んでいたから。・・・しかし、中学生男子のようだね、44歳。ポケットからラムネ出して、そっと渡して。今時、中学生だってやらないか、そんなこと。・・・今後、作風が変化したり、或いは、「作品」となる分野が変わっても、たぶん、アヤちゃんのファンだな、ずっと。陰ながら、応援しています。

2011年2月 8日 (火)

◆布川洋輔(pf):ふるさとふれあいバレンタインコンサート@栃木市大平文化会館ロビー特設ステージ 2/6

かつて橋本治は、自著で名言を残していて、(彼の名言は沢山ありますが)たしかこんな内容。

「今の日本は、自分しかない女と、自分以外しかない男で出来上がってる」というような言葉。

「女」が自分しかないのかどうかは、よくわかりません。でも、「男」は「自分の周り」ばっかりで「自分」を置いてきぼりにしてしまったってことは、当時、ものすごく共感した。「男」ったって、まあ、俺のことであり、俺の周辺のビジネスマン達のことについてなんだけど。

でもさ、そんな生き方になっていても、どうにかこうにか掬い上げる「自分」、或いは、どうしようもなくそこには自分も生きているってところが、曲がりなりにもあって、そこでは、まずもって、第一に、自分が大切にされているような気もしている。それは、今は、ある種の美しい音楽にとりつかれている姿くらいのものなんだけど。

ところが、じゃあ、そうやって、しがらみだらけの人生を、どうにか処理して、残した時間で、エイヤってライブを聴きに行って、でも、「両手に花」の日記に書いた通りなんだけど、終わってしまえば、寂しさはつのってしまう。やっぱり、自分だけ喜ばすって、俺はどうもダメ。結局、居心地が悪い。そんなことを、両手に花の翌日、母のお供で、市民会館に、クラシックのピアノ・コンサートを聴きに行って、改めて感じた。

母は74歳。大事にしたい。でも、なかなか、思うように時間を取れない。自分をどっかに持っていってしまった私だから、親孝行しようと、家に入って、仕事もしているし、両親の家の向かいに家も建てて住んでる。娘の為に何が出来るか、家内のご機嫌はどうか、最近は家庭は家事労働の場所だ、見事にカジメンな私。そして、母の喜ぶ顔が見たい、父のご期待にも出来ることなら沿いたい、社員とその家族のことに至っては、今の働き甲斐や給与水準に始まって将来の生計に関する不安まで、気にかけてないったらウソだ。そして、お客様。よくもまあ、「他人」「他人」「他人」・・・で構成した人生だと思う。

そして、そういう人生は、実は、あんまり美しくないなあと思っている。自分しかない人生も困ったものだと、ときに感じるけれど、そういう風に生きたなら、きっと、もっとやれることは広がるんではないの、と自問したりもするわけだ。青臭い話ですが、まあ、そんな人生もあるわけよ。

それで、日曜日、ピアノの先生からチケットを頂いたけど、一緒に行く人がいないという母に、じゃあ、俺が一緒にいくよと、声をかけたところ、母は大層喜んで、少女のような笑顔を見せた。

◆布川洋輔 ピアノコンサート:ふるさとふれあいバレンタインコンサート@栃木市大平文化会館ロビー特設ステージ 2/6            
 となりのトトロ、シブリ作品メドレー
 ラヴェル:亡き王女のためのパヴァーヌ
 シューマン:アラベスク OP18
 ヒナステラ:ピアノソナタ 第1番 OP22
 ★飲み物、チョコレート付
 
ピアノってやっぱりいいなと、正直思った。特に、「亡き王女のためのパヴァーヌ」やシューマンの「アラベスク」というお馴染みの曲に続いて、ヒナステラのピアノソナタ第一番を初めて聴かせてもらい、ドゥダメルに感じた躍動感と同じような快感が、その曲にあったこと、そして、ピアノが打楽器であったことを思い起こさせる演奏で、大変、痛快な思いに至った。布川洋輔さんって、地元出身の、パリ・エコールノルマル音楽院在学中の学生さんらしいんだけど、ピアノを弾く「洋輔さん」であれば、さすがに山下洋輔さんのことを意識したことはあるだろう。フリージャズを思わせるような力強い演奏で、ヒナステラ(アルゼンチンの作曲家 1916年生)なんて滅多に聴けないけど、結構ガツンと来て、すっかり楽しんでしまった。

母には、2年ほど前になるかな、グランド・ピアノをプレゼントしたのだ。それから、毎日、練習しているそうだ。70の手習い。一回だけ、渋谷毅さんと華乃家ケイさんのライブ@なってるハウスに、連れて行ったことがある。懐メロたくさん。とても喜んでくれた。ケイさんに、おひねりを置いていこうとしていたので、慌てて止めた。とめなくてよかったのかな?

まあ、よかった。今日も。・・・どうかなあ?「自分以外」しかないような人生も、やっぱり、悪いもんでもないさと、こういう日ばかりは、思うんだ。

帰宅して、日曜深夜は、「柴草玲のイヌラジ」を、FM栃木で。先日、収録にお邪魔して、そのあと新年会にしたのだけど、そのとき、玲さんのかつての名曲「マシェール」をライブで聴きたいって話してあったのだけど、なんと、今夜の放送で、「個人的にリクエスト頂いたので」って、イヌラジ小唄のコーナーで歌って下さった。最高!うれしい週末になった。・・・先日の収録の際には、同じイヌラジ小唄のコーナー、私の目の前で、新曲「銀座でコーヒー飲もうよ」を歌ってくださったんだけど、その曲の最後に「Baby わかるかな?」って繰り返して下さって、古澤良治郎さんの追悼になっていた。本当にぐっと来てしまった。心から拍手。・・・いい人生、送れているような気もしてしまう。・・・そういうことにしよう。

アマゾンで、グスターポ・ドゥダメルの「フィエスタ」を注文。ヒナステラの曲が入っているから。ドゥダメル、初期の録音からヒナステラの曲を残していたんだ!!・・・こうやって、「自分」と「自分の周辺」がつながる。そういう瞬間は、本当に面白いなって、思っている。それも、こんな人生ならではかもしれないな。

2011年2月 7日 (月)

◆「両手に花」渋谷毅(P)金子マリ(Vo)小川美潮(Vo)@新所沢スワン 2/5

2月です。ウィキリークスや、チュニジア~エジプトで起きていること、あと、大相撲のニュースの断片を拾い上げると、自分ではない何者かにつくられた秩序の中での安定は、いとも簡単に崩壊する時代になってきたのだなと、感じずにおれません。・・・実際にはあるもの、あって当たり前のものを「ない」と言い張ることで成り立たせてきた世界って、一瞬で消えるんだなと。下手な「証拠」なんて、みんなで無視できてればよかったのに、どういうわけか「やっぱりあるじゃん。全然だめじゃん」ってことの方が、勢いを持ってしまうと、古い形は、一気に崩れるんですね。で、その動かぬ「証拠」になっちゃうのが、インターネットだったり、ツイッターだったり、ケータイメールだったりするのが、不憫ちゃ不憫で。

でもね、そういう変化も、それぞれ詳しくは知らないんだけど、変化させようとする主体の底が浅ければ、いずれ、また、似たような形に戻ってしまったりするんですよね。・・・「一斉隆起」して同じ方向を見るような人々にとっては、実は、「独裁」も、結構、都合のいい仕組みだったりもするのにねってことを、思うのです。勿論、独裁の中身にもよりますが。被「独裁」の状態を抜けて、新たな「秩序」を大衆がつくっていくって、それは、またものすごく大変なことで、その過程で、実は「独裁」と同じ根を持つ混乱が、必ずついて回る。みんなが同じ方向を向くことで、新たな秩序って形成されていくわけだけど、でも、みんな違うのに、どうして、どうやって、同じ方向を向くの?というわけで。・・・貧乏はいやだし、搾取されるなんてまっぴらだし、自由に生きたいし、命令なんかされたくない。本当、その通りだけど、ひとの世は結構どうしようもなくて、そういう「秩序」の負の側面を否定するなら、やっぱり、自分と愛する人の身は自分の力で守るってことは原則に置かないといけないような気がします。でも、そんな覚悟持たずに、誰かが守ってくれて当然だって思ってるとなると、別の形で、同じことが繰り返されるだけのことになるでしょうね。

「自由とそれ故の自己責任を前提とする社会で、且つ、弱者に優しい社会」って、出来そうなんだけど、でも、「自己責任」ってところが、実はすごく苦しいからな。言葉で言うほど簡単に受け容れられるものじゃない。他人を変えることは望んでも、自分は変わりたくないのが、人間の本性みたいなものだからかなあ。・・・「他人の八百長を笑う奴を 俺は信用しない」って、たしか、エンケンさん。「輪島の瞳」で。・・・国技だけは八百長抜きでなきゃ気が済まない?だったら、自分の人生を、八百長抜きにしてみろよって。出来ないよ~。俺達の人生も、八百長だらけだもの!「いつもお世話になります!」「いいお天気ですね」「ごきげんよう」「勉強になりました」とかね。大相撲崩壊させたあとに何が建つのが見たいのだろう?まあ、わかるような嘘つくってのは、相手をなめてるから。そういうのは、いけませんね。嘘なら、つき通さないといけないよな。嘘つかれた方は、信用してればしてるだけ傷つくから。「嘘発見器」(メールだの、ツイッターだの)の性能も、時代と共に上がってきたんだよと。そういうことなのかもしれませんね。

それにしても、こうやって、ある種の情報の閉鎖性に支えられてきた文化・文明って、がらがらと音を立てて崩れるんだな。そうなると、そもそもが閉鎖的なある種の形を未来に向けて継続させるために心血注ぐなんて、独りよがりな勘違いかもな。勘違いしてたって構わないけど、他人に押しつけられるような、ご立派なもんじゃあないなとは、思うよ。・・・そうなると、何より、生きているうちが花であって、一瞬一瞬を大切に生きるってことだろうなあ。

いずれにせよ、現状維持の事なかれが、最高の状態だなんて、とても思えない。でも、変化すれば、それでいいってわけでもない。更に悪く変化するってことだってあるからなあ。独裁政権による圧政と八百長相撲を、同列に論じちゃ無理があるし、どっちも、今の変化で、よくなるといいなとしか、言えないですけど。でも、一旦、それまで続いた秩序をぶちこわした一騒ぎの後、状況は良くなるに決まってると思っているとしたら、たぶん、楽観的すぎるとは思うのだ。ぶちこわすまでは同意出来ても、その先は大抵バラバラだからなあ。

振り返れば、固定的な、ある「秩序」の中で、私達日本人は、好むと好まざるとに関わらず、世界の中で見れば「いい暮らし」をしてきたわけだけど、その「いい暮らし」って、「経済」とか「治安」とか「衛生」とか「利便性」とか、そういう面での話であって、それらが人間にとって最高の価値かって言ったら、そうでもないような気もしますしね。例えば、今さら、トイレが水洗じゃない国には住めないなって気がするけど、でも、いざとなれば、慣れるまでの辛抱のような気もするしな。そう考えると、発展途上国の国民と比べると、ものすごく「格差」(笑)のある、不公平な位置にいる我々だけれど、それらの、いわゆる「繁栄」が、将来、がたがたと崩れて、失われていくとしても、それは、必ずしも恐れるには当たらないし、それより大事なもの、しっかり失わずにいればいいじゃないかとも思います。

大事なもの。・・・普遍的な価値としては、やっぱり「自由」かなあ。「秩序」と結構遠いところにあるものなんだけど。・・・でもまあ、いくら「自由」でも、「幸せ」じゃなきゃなあ。「自由」な人が、必ずしも「幸せ」に見えないときだって、あるものなあ。・・・じゃあ、「幸せ」か。・・・それは、人それぞれだものな・・・。他人の幸せなんて、わからない。でも、それを願うのが「愛」か。・・・愛だな、愛。・・・この辺でよそう。

この島国での「豊か」で「安全」な生活。それも、ある種の富の偏在を許容する仕組みの中で実現できてきたものだけに、それが一瞬で崩れてしまうことも想定して、すなわち、そういう環境与件に頼り切らずに生きる術を身につけたいものだと思います。・・・「肉体労働」の復権かなあと思ってみたり。とりあえず五体満足であることの有り難さ、噛み締めながら、手を足を目を耳を口を鼻を腹を使って、生きていきたいと、願うのです。

・・・おっと。だらだらと。そんなようなことを、更に、会社の経営や家庭の事情に絡めて、薄ぼんやりと考えながら、所沢を訪れた。渋谷さん達の音楽と向かい合おうとするとき、「自由」とか「愛」とか「人生」について考えることは多い。

「出来るなら 毎日聴きたい 渋谷さん」と川柳を詠んでしまう渋谷さんのライブなのに、20日ぶりです。すごく久しぶり、もう喉カラカラで出かけた感じでした。

◆「両手に花」渋谷毅(P)金子マリ(Vo)小川美潮(Vo)@新所沢スワン 2/5

演奏してくださっている間の幸福感といったら、ない。この上ない幸せ。もう、よくわからないくらい幸せ。優しくて優しくて優しくて・・・。どうしようってくらい。「両手に花」のライブに出かけたのは、4回目かな。毎回、3人とも素敵過ぎ。今回も、渋谷さんのソロ→渋谷さんと美潮さんのデュオ→休憩→渋谷さんのソロ→渋谷さんとマリさんのデュオ→渋谷さんとマリさんと美潮さんの「両手に花」。第二部では、渋谷さん、一曲ごとに、お酒注文してらして、大丈夫だったかなあ。演奏もご機嫌でした。よかったなあ。

そして、演奏が終わり、帰路。・・・ど~~んと、寂しさが襲ってくる感じ。・・・落差、大き過ぎ(笑)。

一月末で、会社の決算年度が終了しましてね、それで、ちょいと疲れてるってところもありますね。しっかり利益出しましたよ。賞与もちゃんと出したしね。・・・でも、こう、言いようのない心理状態ですね。いや、いいんですけど。「不安」っていうのと少し違うんだけど、なんだか、安らぎません。・・・いやいや。これから、未来つくりますです。この一年に、乞うご期待。

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