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2011年4月

2011年4月 1日 (金)

「入社式」原稿 (これも近況報告として)

同じ社内報に載せた「入社式」原稿。これも近況報告として。

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■平成23年度入社式 挨拶■ 

 ご入社おめでとうございます。本日、10名のご入社を、当社全員で心より歓迎いたします。今日は、これまで皆さんの成長を誰よりも暖かく見守ってこられたご家族にとっても、感慨深い日であることでしょう。どうか日々成長し、立派な社会人となっていくことで、ご家族に恩返しして頂きたいと思います。

 どうか精一杯、会社の仲間とともに、同じ目標に向けて、日々を燃焼してください。そして、日々、新たな「挑戦」を、忘れないでください。そして、積極的に積み重ねる業務経験の中で、どんな時代背景となろうとも、希望をもって生き抜く力をつけるべく、自己変革を繰り返す、社会にとって有益な人材となっていって頂きたい。そして、自らの手で、幸せな人生を勝ち取ってほしい。そう願っています。

 特に、皆さんは、東日本大震災で国民が不安に覆われている時代のご入社です。震災が生じる前も、デフレ経済と、その一方で原料価格の上昇とが、経営環境を厳しくして来た中であり、相当な厳しさを、覚悟をもって受け止めて頂かなくてはなりません。それでも、こうして元気に社会人生活のスタートを切れることは、今回、被災された極めて多くの方々を思えば、幸運なことです。その幸運は、皆さんを受け入れる私達についても言えることです。
 「運」や「偶然」に、人生は、大きく左右されます。そのことを、私達は、今回の震災で、嫌と言うほど思い知らされています。だからと言って、努力を忘れてはならない。志を忘れてはならない。希望を忘れてはならない。どうか、逆境の中、たくましく育って頂きたいと願っています。

 新人の皆さんの中にも、今回の大震災で、被災された方々に対し、自分は何ができるのだろうと、自問された方も大勢いらしたことと思います。そのことについて、先月、内閣府参与にも任命された多摩大学教授の田坂広志さんが、震災後に行った講演録を紹介します。私も同じ気持ちでおります。

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「いま、あなたに、何ができるのか -すべての人が社会に貢献できる生き方・働き方-」(田坂広志)

 東日本大震災

 それは、なぜ、起こったのか?

 日本は地震国だから
 日本は島国だから

 そうした「科学的説明」よりも大切なもの
 それは、「意味」を感じる力

 そして、我々の心の奥深くには、
 いま、共通の感覚がある

 我々の中にある共通の感覚とは
 「この大震災は、起こるべくして起こった」
 ということ

 それは目の前にある、現実

 混迷する政治
 低迷する経済
 共感を失った社会
 倫理を忘れた経営
 働き甲斐の無い労働
 浮薄な文化
 そして
 大切なことを忘れた我々の精神

 実は、我々の誰もが、そのことを感じていた

 我々の中にあった共通の感覚とは
 「いつか、この国は、経済的破綻に直面して
  その大切なことに、気がつくのではないか」
 ということ

 しかし、実は、この感覚の中に、
 すでに、甘い認識が潜んでいた

 2011年3月11日
 何が起こったか

 政治、経済、社会、文化の
 すべての破綻を遥かに超え
 やってきた空前の危機

 一瞬にして失われた
 二万人を超える
 尊い命

 この事実の前に、
 言葉を失い
 茫然と立ち尽くす我々

 この最も痛苦な時期にこそ
 我々が、自らの心に、問わなければならない
 大切な問いが、ある

 この方々の命は、なぜ、失われたのか?

 この方々が、尊い命を賭して
 我々に、教えてくれようとしたものは、何か?

 それは、何か?

 この日本という国は
 生まれ変わらなければならない

 この日本という国は
 永く続いた混迷の時代を超え
 素晴らしい国へと
 生まれ変わらなければならない

 そのことを
 二万人を超える方々は
 尊い命を賭して
 我々に、教えてくれた

 だから、いま、我々は
 心に定めなければならない

 それは、ただ一つの思い

 これから何十年の歳月が経っても
 決して風化することのない
 一つの思い

 いつの日か、我々は、必ず、語る

 あのとき、この日本という国の
 素晴らしい国への再生が始まった

 2011年3月11日
 あの日
 二万人を超える人々が
 その尊い命を賭して
 我々に、願いを託してくれた
 
 そのお陰で
 その尊い命のお陰で
 我々は、立ち直ることができた

 あの永く続いた、混迷の時代を超え
 この日本という国は
 素晴らしい国へと
 再生することができた

 いつの日か、必ず、そう語ろう

 では、そのために
 いま、我々が、為すべきことは、何か?

 この思いを風化させず、心に刻むこと

 では、思いを風化させないためには
 何が必要か?

 命を失われた人々への、共感

 では、共感とは、何か?

 共感とは、同情や憐憫とは違う

 共感とは

 目の前にいる、一人の人間の姿が
 自分の姿のように思えること

 大地震と大津波
 人間を分け隔てない出来事
 年齢、性別、地位に関係なく、襲いかかる災難

 ほんのわずかな人生の偶然の違いで

 自分もまた「被災者」になったのではないか

 ここにいる誰もが
 「被災者」になったのではないか

 あの方々の姿は、自分の姿ではないのか
 あの方々の姿は、我々の姿ではないのか

 最愛の夫と娘二人を失い
 独りぼっちになってしまった
 と悲しむ女性

 がれきの中から、妻の乗っていた車を見つけ
 見つけてしまった
 と嘆く男性

 それは、我々の姿ではないのか

 共感とは、何か
 あの方々は、そのことを教えてくれた

 では、その共感を胸に抱き
 いま、我々が、為すべきことは、何か?

 為すべきことは、ただ一つ

 目の前の仕事

 その仕事に
 深い使命感を抱き
 高き志を重ね
 心を込めて取り組むこと

 その、日々の仕事を通じて
 素晴らしい日本を、創る

 我々は、いま
 その決意をこそ、固めなければならない

 我々は、いま
 その思いをこそ、定めなければならない

 その決意を固め
 思いを定めたとき
 すでに、我々の歩みは始まっている

 日本という国において
 「働く」とは
 「傍」(はた)を
 「楽」(らく)にすること

 日本という国において
 「企業」は
 本業を通じて
 社会に貢献する

 希望とは、何か?

 希望とは
 「悪しきことがあっても
 いつか、良きことが起こる」
 という意味ではない。

 希望とは
 「すべての起こることは
 必ず、良きことに結びついている」
 という意味

 我々は
 この東日本大震災を
 いかなる眼差しで見つめるか?

 我々は
 この東日本大震災を
 必ず、
 希望へと転じていく
 
(2011年3月23日 社会起業大学記念講演録より抜粋。一部改稿)
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 また、私には、大切な人がなくなる度、思い起こす一片の詞があります。

 And when I die
 and when I'm dead, dead and gone
 There'll be one child born
 And a world to carry on

 私が死ぬとき
 私が逝ってしまうとき
 ひとりの子供が生まれる
 そして、世界は続いていく

 (“And When I Die”Laura Nyro:1966)

 あなた方は、日本社会にとって、つい3週間前に失われた多くの命の傍らで、新しく生まれた「子供達」です。私達自身も、そうありたい。幸運にも被災を免れた私達が、私達自身の中に、新しい「命」を頂いたと思うことで、私達の代わりに2万人以上もの方々の尊い命が失われたことを、希望へと転じていかなければなりません。皆さんとともに、「私達の仕事」を通じて、社会に貢献していく思いを、新たにしたいと思います。

 これから始まる社会人としての人生に、どのような困難が待ち受けようと、大震災発生後、間もなくの2011年4月1日に、大きな決意で、ご入社されたことを忘れず、社会に喜びを与える「私達の仕事」に、全力を尽くす思いを持ち続けてください。
 社会人として、当社の社員として、これから学ばなければならないことは沢山あるでしょう。しかし、何より、震災直後の、今の思いを持ち続けること。私達も、あなた方とともに、新たな思いで、新たな命を頂いたつもりで、スタートを切ります。

 私達の仕事は、高い品質の、価値ある食品を数多くの生活者に届け、彼らの食生活を豊かにしていくこと。そして、それを永く続けていくために、当社を、強い会社・良い会社・正しい会社にしていくことです。これから、共に、使命感を持って、がんばりましょう。

 今日からの人生が、日々、輝きに満ちたものとなるよう、皆さんのこれからの成長に大きな期待を込めて、お祝いの言葉とします。

「社内報」4月号原稿 (友人への近況報告を兼ねて)

いろいろご心配をおかけしているようなので、友人への近況報告を兼ねて、本日配布した社内報の私の原稿を転載します。大丈夫です。元気にやっています。

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「社内報」4月号 

 3月11日14時46分頃、東北地方太平洋沖地震、東日本大震災が発生しました。死者・行方不明者2万7690人(31日現在)。被災地に店を構える私達のお得意先でも、多くの方がなくなりました。日本中が悲しみに包まれています。なくなられた方々、家族・親戚や友人をなくされた方々、家や財産、ふるさとを失われた方々に、謹んでお悔やみ申し上げると同時に、一刻も速い復興がなされることを心からお祈り申し上げます。

 社員とその家族は、全員の無事が確認出来ております。また、東北営業所社宅や一部社員のご実家などに物的被害がありますが復旧の方向であり、また、直接の被災地以外では、大きな物損もなく、建物・機械・設備等の保全面については、工場の稼働に大きな支障がないことが確認できました。

◆ 電力不足への対応
 大震災の影響のうち、当社にとって、直接の大きな問題は、原子力及び火力発電所の停止に伴う東日本全域の電力不足です。
 震災直後から、過去経験したことのない「計画停電」が突如実施されましたが、幹部のリーダーシップと現場の皆さんの頑張りに支えられ、工場の稼働時間8時間/日をほぼ確保することが出来ており、又、三寒四温と言われる通り、4月には暖房需要もおさまることから、当面の混乱は収束に向かいつつあります。朝6:20から夜22:00までに至る5グループに分けた輪番停電の為、変則勤務を余儀なくされ、実施されるかどうか直前にならないと確定しない停電の影響で生活リズムも狂い、それぞれの居住地域の停電も含め、皆さんも相当なストレスを感じてこられたことでしょう。どうか健康に留意され、休養も十分に取って頂き、円滑な業務遂行にご協力をお願い致します。

 今後暫くは、暖房の減少と、節電運動の高まり、そして、休止中の火力発電所の再開等が見込まれることで、現在の計画停電は、春先までで一旦収束するとの見通しが伝えられています。しばし安堵出来る時期も来るかもしれませんが、急な気温の変化等によって計画停電が突如実施される懸念は捨てられません。
 当社としては、社員の皆さんのストレスを小さくする為、急な変更を可能な限り回避する計画的な勤務体制・協力体制のパターン化に努めています。しかし、今後も、唐突な政策変更が懸念されますので、ご理解とご協力をお願い致します。
 又、これまで誰もが想定していなかった非常事態故、皆さんひとりひとりの発想の中に問題解決のヒントも在ることでしょう。日常の節電策を含め、気づく点がありましたら、率直に上司に相談・提案をして頂きますよう、重ねてお願い致します。

 春先に一部電力の供給力が回復しても、夏の電力不足は深刻と予想されています。現在休止中の大口需要者の操業が徐々に再開するでしょうし、そもそも夏は冷房をはじめ電力最大需要期であり、そのピーク時を賄う電力は、通常年でのピークとの対比で▲2~3割の電力不足となる事態が想定されています。これに対し、政府及び電力会社は、節電と電力需要の分散を家庭や企業に働きかけ、電力ピーク分散の実施や総量規制など、現在の計画停電以外に様々な施策を取ろうとしています。サマータイム的に会社や学校の始業時間を1~2時間早める等、電力ピーク分散策の実施可能性は高く、私達も今から対策を考えておく必要があります。夏季の電力使用制限は避けがたく、3月の計画停電と同様かそれ以上に、生産に支障を及ぼす可能性が高いと考えられます。
 なんとか夏季も安定稼働が可能になるように、様々な角度から検討を重ねています。夏季は、私達にとって最大の需要期であり、売上と利益を積み上げねばならない時期です。少なくとも前年並みの実績を残せる生産体制を築くべく、どんな政策決定が下されようと機敏に対応できるよう、シミュレートしていく方針です。社員の皆さんは、国家の緊急事態でもあることをご理解頂き、その時点その時点で、最善を尽くせるよう、ご協力をお願い致します。

 広い意味での東日本の電力不足の状態は、今後、数年間は覚悟しなければなりません。そのような中においても「いかに粛々と業務が進められるか」が、企業としての生き残り、皆さんの生業の維持のキーとなります。
 一方、西日本は電力は平常通り潤沢であり、西日本拠点の多くの企業は震災前とほぼ同様の生産販売活動が行えます。私達は、自分達の力で、それらの競合に対し、不利な条件をばねに、対抗していかなければならないのです。覚悟を決めて、進んでまいりたいと思います。

◆ 放射能漏れ問題への対応
 尚、今回の震災に伴う福島第一原発の事故の影響については、今のところ、県内でも一部放射性物質の暫定基準値超えが報告された野菜や水道水の問題、又、本社立地が福島の隣県であることによる直接の被害は、風評被害を含め、確認されていません。現段階では、スーパーも冷静な対応をしているように見受けられます。
 当社は、輸入原料が多くを占めること、又、水道水ではなく地下水を使用していることもあり、今のところ、懸念は過大に見積もっておりません。
 尚、本社工場・小山工場・協力工場3社・関連工場1社の使用水(いずれも地下水:3月23~24、28日採取)について専門機関で検査したところ、放射性物質は検出されませんでした。

 また、社員の皆さんも、今回の原子力発電所の放射能洩れについて、不安をお持ちのことと思います。そのような状況で、社員全員が、冷静に行動されていること、有難く思っています。
 私は、政府が設定している避難区域や、食品について指示している事柄を、国民として守るべきと考えております。政府は慎重な言い回しに終始していますが、それ以上の危険についての憶測や、過剰な対応は、会社としても避ける方針です。

 そして、今の国民の不安心理は、過去、食品添加物や残留農薬について、それぞれ私達が深刻な打撃を受けた「食の安全・安心」問題と、よく似ているという印象は持ちます。放射性物質の暫定基準値を超えた食品を「直ちに健康に被害が出るものではない」と言いつつ、出荷制限や摂取制限の対象としていますが、そこでの基準値は、実際に影響を及ぼす危険性のある摂取量に、かなりの安全率をかけて、低く設定されています。それは、農薬などに関する残留基準の設定とよく似ています。それは、かなり厳格に健康被害を防ごうという姿勢の現れですから、基準値をわずかでも上回ったら健康被害が出ると即断するのもおかしいのです。(チェルノブイリ事故で被曝者救命にあたったロバート・ゲール博士によれば、「暫定基準値」のイメージは、「100万分の1の危険を防ぐような発想」で設定されたものとのことです。)
 とは言え、政府の情報公開が適切なのか、また、情報入手そのものが十分なのかという点で、国民の不安はもっともです。しかし、私達は、基準値をわずか超えたとしても基準値の近辺にある食品はおよそ安全なものであることを、「中国産食品叩き」の当時の経験上、よく知っています。あの当時、輸入野菜を中心に農薬の残留基準超えが頻発し「直ちに健康への影響はない」けれども「廃棄」や「回収」が繰り返されました。国が定めた「基準」を超えること自体は、ゆゆしき問題です。しかし、「基準」が極めて厳しいだけに、「基準超え」と「健康」への影響は、すぐさま関連づくものでもありません。
 ノーベル賞候補にもなったカリフォルニア大学のエイムズ教授によれば、全ての野菜には、病害虫から身を守るための農薬成分(ファイトケミカル)が含まれている。それらファイトケミカルの半分には、発ガン性があることが確認されています。「無農薬」で育てたとしても、野菜が本来持つ農薬成分は落とせません。「絶対に安全な食品」は、残念ながらこの世に存在しません。問題は、摂取量です。どんな食品でも「量」次第で、毒にもなれば薬にもなる。農薬と同じことが、同様に「基準値」を国が設けている放射線物質についても言えると思います。
 放射性物質の量と実際の健康被害の関係について、私達は、これからきちんと学んでいかねばなりませんが、今は、いたずらに不安になるべき段階ではないと思います。デマに惑わされず、社員の皆さんにも、冷静な行動をお願いいたします。

 一方、会社としては、政府の「指示」や「規制」には、当然、遅滞なく、従ってまいります。
 野菜や水の放射能汚染は、お客様の健康を預かる食品を扱っている以上、もはや私達も関心を持ち続けなければならないテーマですが、今の政府指示に従い、普通の量を食べて頂ければ、実際上、健康被害は起こらないと考えます。
 但し、原発の事故は、関係者の必死の努力にもかかわらず、今も進行中であり、「冷却作業」から「廃炉」に至るまでの時間は、十年以上に及ぶとの見方もあります。その間に、観測される放射性物質の数値が変わり、その度に「安心・安全」問題が叫ばれる可能性もあります。そのときにも、当社は、その時点での政府の指示に従ってまいります。

◆ 「震災」を言い訳にせず、頑張りましょう
 私は、停電、震災後の交通網の乱れ、ガソリンや燃料の不足、物的に被災した生産設備などから、生活物資の購入にもっと大きな打撃を関東地域の生活者が受け、それが長期化することも想像していましたが、想像以上に、被災地以外の「復興」ははやく、食品スーパーの棚は埋まりつつあるように見えます。直接打撃を受けたのは「被災地」の産業・企業であり、その地域に関係の深い商品群は今なお滞っていますが、他地域からは、燃料供給の回復や交通規制の解除に伴う物流網の復活により、順調に商品が入ってきています。社会不安の心理から買い占めの動きが起こりましたが、一部のジャンルを除いては、スーパーの棚は「平常」に向かいつつあるのでしょう。勿論、今なお、水、納豆、パン、スナック、即席麺など一部ジャンルの棚がガラ空きであることは、それだけで異常であり、正常化にはほど遠いという見方も出来ましょうが、こと漬物においては、ほぼ正常に近づいたと見るべきですし、同様に言えるカテゴリーがそれなりに多くあります。
 国家的大災害、歴史的大震災からわずか3週間と思えば、極めて速い「日常」の復興です。それだけに、「計画停電実施地域」という点では「被災者」である我々も、その復興スピードに合わせなければならないということを意味します。「震災だから」「停電だから」「燃料がないから」ということを理由に「平常通り」の商品供給が出来ず、欠品するという事態は、許されないのです。そのような言い訳は、情緒的には理解して頂けても、「ならば、納期通り供給出来る会社から買うから結構です。貴社とは取引を続けられません」となるのが、スーパー側の現実的な対応となります。何故なら、震災前から、スーパー同士が厳しい競争を強いられている。震災後でも、品物が並んでいる店と、棚がガラ空きの店と、どちらに客が来るのか。その厳しい競争が、復興スピードに現れているのです。
 私達メーカーにしても同じことです。苦しいのは確かだが、それを言い訳には出来ない。その厳しさを乗り越えて、競合メーカーとの競争に打ち勝てるよう、必死で努めて、震災前と同じ状況を実現し、納品する。その結果、私達の商品が、スーパーの棚に並び、お客様の手元に届く。当たり前の姿だけれど、その裏側には、皆さんのスゴイ頑張りがある。誇りに思っていいことです。極めて厳しくなった経営環境の下ですが、まずこの季節は、ほぼ正常化を成し遂げました。そして、これからどんなことがあっても、そういう「日常」を継続させる努めこそが、真の「復興」への道なのだと思います。

 大震災後、本日に至るまでの3週間、操業停止や大欠品の危険高まる中で、皆さんのがんばりに目を見張りました。特に震災直後の一週間ほどの間、当社の日常的な生業の復活に向けて、総力を結集して、受注、生産、納品のいずれもが極めて厳しい条件の下で、正常化への道筋をつくっていったこと、素晴らしい社員に支えられていると実感し、感謝すると同時に、誇りに思いました。
 燃料不足と輸送網の崩壊の中で、A重油・軽油・ガソリン等の燃料、塩などの調味資材、包装資材の安定調達に奔走し、ほぼ目処をつけたこと。得意先にご理解を頂き、一部納期に猶予を頂く折衝。最優先アイテムの絞り込みと、順次、優先アイテム、その他と進めた生産・販売の選択と集中。計画停電に伴う、早朝勤務や夜勤などの変則勤務に、それぞれの(不安を抱えた)生活がある中で対応して下さったこと。受注時刻に停電が実施された際の、営業事務の繁雑を極めた受注修正処理とお得意先応対、そして変則勤務。働く方々に出来る限り負担を小さくするようにパターン化する計画の立案と実行。被災地東北駐在員の緊急生活支援。計画停電下の大量受注となった2週間ほどは、在庫も払底し、営業部員や製造間接職にも、慣れない生産やピッキングの応援に入って汗を流して頂いたこと。停電に伴う緊急物資(ヘッドライト・懐中電灯・電池等)を札幌や関西の営業部員はじめ内外の協力でいち早い調達が出来たこと。被災した得意先へのお見舞いや支援。綱渡りとなった運送便の組み替え。産地が被災したことで入手困難となった大根原料の手配。港からの陸送問題のみならず、海外生産品が放射能汚染国を嫌って東京港に船を出さない中国船会社も生じた中での貨物入手の試行錯誤。個人もガソリン不足の時期には、相乗りで通勤して頂き、払底に備えました。非常時、一斉に連絡が取れるようにGメールの設定。弁当業者の営業不能が予測された中では炊き出しの準備。停電に備えては、トイレの手配に至るまで。暗い中の作業で苦労されたことと思いますが、停電時にも、ピッキングや加工工程を稼働出来たこと。そして、自家発電機を緊急で入手困難な中、社員の尽力で入手頂き、突貫での配線工事で、オンライン受注の無停電システムを何とかつくりあげたこと等々・・・。

 まさに、イレギュラーの連続となった非常事態を早期に脱し、「正常化」に向かいつつあることは、何より、全社員のがんばりの結果です。困難なとき、社員が「情緒」に流されず、「現実」を見て、半年後一年後にちゃんと会社が続いていることを確保すべく、真剣にがんばってくれているおかげです。

 恐らく、皆さんは、日々ニュースで伝えられた苛酷な震災の映像を見聞きし、被災された方々へと思いを寄せ、自分は五体満足で、家族も無事で、同じ仲間と共に忙しく働けることへのありがたさを胸に感じながら、がんばってこられたのだと思います。「被災地の方々、おつらいことでしょうが、震災復興がんばって。私達も困難を乗り越えて、がんばるから。」というような思いを、皆さんの厳しく不安な環境だけれど、生気のある表情を見て、それを感じました。
 
 尚、先に述べた自家発電機の入手には、農協の協力を得ました。何とか3台を確保できていましたが、その農協に、当社からの依頼後、病院からも発電機の依頼があったのだがと、農協から相談を受けました。当社としても、今の時期、病院を優先して渡すべきだとの気持ちを共有しましたので、その発電機の入手はあきらめ、他のルートを探すことにしました。自らも緊急事態にありながら、今は「病院」を優先する判断をしてくれた現場を、私は誇らしく感じています。(ほどなく、同じ農協から、当社の要望に、より合致した3台が入手出来、当社としても事なきを得ました。)

◆ 年度スローガンを堅持、実現を目指そう
 そして、より大変なのは、これからです。
 震災直後は、スーパーがとにかく棚を商品で埋めたいという要望に加え、物資不足情報から消費者の購買活動も活性化し、又、一部当社が注文に応じきれなかったことから真の必要量以上の発注も頂いたことで、一時的に売上が伸張もしました。特に、少なくとも看板商品だけは、ゼッタイに欠品させないという強い意志で臨んで頂いた営業部・製造部の姿勢に感謝いたします。
 しかし、今後、経済の長期停滞が予想されます。「自粛ムード」もあり消費低迷は不可避でしょうし、休業・失業も頻発することが想定されます。震災後の外食産業や百貨店の大減収、操業再開の目処がいまだ立たない自動車等重工業、出荷制限のみならず風評被害にも打撃を受ける被災地とその近辺の農業。一気に閑散とした旅行業やレジャー産業等々。それらが同時発生しているのですから、私達が、戦後、経験したことのない打撃です。それだけに、「日常」の回復と共に、停滞した世の中で喜んで頂ける商品の開発・提案・供給に、力を注がなくてはなりません。「原料高+デフレ」で、今号掲載の「平成22年度事業報告」の通り、経営環境は厳しさを増している中で、新たなチャレンジをしていた矢先の震災でした。当社としても、かつて例を見ない厳しい環境と言えます。
 年度スローガンを「ひとりひとりが視野と行動領域を広げよう。購入されるお客様の立場に立って、商品にフォーカスし、21世紀の生活者に必要とされる仕事を成し遂げよう。」として、2月からの本年度を始めましたが、震災後もこれを変更することなく、むしろ、強い気持ちで、3月11日以降、明らかに大きく価値観や生活環境を一変させた「お客様の立場」に立って「生活者に必要とされる仕事」をしていきましょう。そして、震災後の21世紀の日本に、「必要とされる仕事」とは何なのか、真剣に模索し、行動を変え、これからのこの国に、本当に役立つ商品供給をしてまいりましょう。そして、そのことが、今、私達がなすべきことなのだと思います。

 3月の売上実績は、予定していた販促が軒並みキャンセルされる中、自社製造品でほぼ前年並みの売上を確保しましたが、依然、経営環境の厳しさは続きます。
 悲しみに負けず、目の前の現実を直視して、共に、頑張ってまいりましょう。

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